クオリア

哲学というか現代思想的なもの(ニューアカの名残)を読んでいた頃から20年近くが経ってしまっている。
学問はどんどん進歩しているだろうに。
今はネットという便利なものがあるので少しその様子を見てみた。

私の頭の中はもうずっと「ことば」「認識」「存在」あたりで立ち止まっている。
まあその辺が基本なことは変わらないだろうから、と量子力学と哲学との接点のひとつである「シュレディンガーの猫」から調べてみた。
認識あっての存在だ、というやつだ。
そしたらその周辺に「クオリア」という単語がやたらと登場する。
なのでさらに調べてみた。

クオリアとは…。

「私」が見てる「赤い」夕日は他人にとっても同じものなのか?
ああ、赤いね、というその人が見ている夕日の色は
私にとっての「青い」色である可能性はないのか?

私を始めとする人間の頭の中で感じられる、例えば「赤」という質感のようなもの、それがどうやら「クオリア」らしい。
それは色でなくてもいい。匂いでも、時間(これは私が考えたことなので怪しい)でも。

ああ、それなら、と思い出した。
子供の頃、私が見ている世界が実は他人が見ている世界と違っていたらどうしよう、と考えたことがあった。
例えば自分では服を着て歩いているつもりが、他人の世界においては素っ裸で歩いていて、すなわち自分が狂っていたら本当のところわからないよね、ということだ。

そうすると、例えば統合失調症という病気はクオリアに関わる認識の問題なのではないだろうか、と思った。
すると私が思った問題はとうの昔に、例えば茂木健一郎さんが著書などで唱えていて、しかも一部ではオカルト扱いされていた(笑)


そんなこんなをネットでたどっていたらいつの間にか夜が明けていた。

なので今日はここまで。